山梨学院パブリシティセンター
 
エームサービス入りする田村実里選手
明治安田生命入りする泉水玖瑠美選手

3月は旅立ちの季節、青春時代の4年間を酒折のキャンパスで過ごし、間もなく社会に旅立っていく4年生の中から、部活や研究に励んだ人たちを紹介する“シリーズ旅立ちの時”、第2回は、ともに神奈川県相模原市の神奈川県立弥栄高校から山学大に進学し、高校時代には全国レベルとは無縁だったまったくの無名選手から、ひたむきに努力を重ね、山学大チームを創部初の“王座”進出に導くなど、テニスプレーヤーとして大きく飛躍、卒業後は実業団チーム入りする“努力の人”田村実里選手と泉水玖瑠美選手の2人を紹介する。


田村実里(たむら みのり)選手 
平成4年1月17日生まれ 
経営情報学部経営情報学科4年 神奈川県出身
 
相模原市立緑が丘中〜県立弥栄高〜山学大〜エームサービス

身長170cm テニスを始めたのは小5の時、高校時代の戦績は選抜に出たのが唯一の全国大会でシングルス初戦敗退した。山学大のテニスコートを見学し「環境が整っているここだったら、自分は成長できる」と進学先に決めた。入部してみたら先輩たちが「9番コート」と呼んでいる裏山への山登りダッシュなど、厳しい練習にまったくついていけず毎日泣いてばかりいたという。試合に勝てるようになったのは体力がついた3年になってから、3年の時は、岐阜で行われたインカレ予選でダブルス2試合を戦ったあと、東京・有明で国体予選を5試合戦い、岐阜にとんぼ返りしてシングルス本戦1回戦勝利で2回戦進出、午後からのダブルスにも登場して勝利、8日間で実に11試合も戦うという超ハードスケジュールをこなす“鉄人田村”に変身するほど体を鍛え上げた。チームの関東大学リーグ準優勝、“王座”初進出の原動力となった。4年の時は主将を務め、久次米夏海(2年)と組んだダブルスで、山学大テニス部史上最高成績のベスト8入りを達成。「自分としてはもっと上のランクに行きたかったのに、行けなかったという思いがあったので、エームサービスチームに入れて頂けることになり、社会人チームでもっと上を目指そうと思います」と話し、「自分が成長でき たのは山学大に来たから、他の大学ではできなかったと思います。三好コーチ、倉田コーチ、先輩方、チームメートみんなに育てて頂いたおかげです」。努力の人田村実里は、チーム全員に感謝する思いを胸に、社会人選手として社会に旅立って行く。
 
田村実里選手アルバム


泉水玖瑠美(せんすい くるみ)選手、
平成4年2月24日生まれ 
経営情報学部経営情報学科4年 神奈川県出身

相模原市立緑が丘中〜県立弥栄高〜山学大〜明治安田生命

身長180cmの長身 テニスを始めたのは小6 小学校からの同級生田村実里選手と、後輩の本郷未生選手(2年)と同じテニスクラブに通った。高校時代の実績は、全国大会に出場した経験が一度もなく、大学でテニスを続けるかどうかも迷ったほどだった。「自分には寮生活などできない」と思ったが、先に田村選手が山学大進学を決め、「田村が入るならいいか」と2人揃って相模原から甲府にやってきた。「入った年が1部昇格の年で、周りの人はみな猛練習していて、心も体もついて行けませんでした。メンタル面が弱く 、自信がなくて、自分で自分の限界を作っていました」と振り返るように1・2年の頃は、ここという時にネットにかけて自滅することが多く、その長身を活かし切れなかった。しかし、負けた時の悔しさが糧になり、ひたむきに黙々とトレーニングに励んだ。3年になってようやくダブルスでインカレ予選初出場を果たし、シングルスは4年最後の夏に予選初出場を達成させた。初戦でインカレ初勝利を上げ、予選ファイナルではファーストが入ったら破壊力抜群のサーブと、高い打点からのボレーを武器に戦った。1・2年の頃には出来なかった勝負所で、長身を活かしたナイスショットを連発、6−3、6−1で勝利、一歩ずつ階段を上がり、最後の夏に本戦の舞台に立った。「明治安田生命チームには、先輩の松田望実さん(昨年度卒)がいるので、松田さんと一緒に練習して日本リーグのメンバーに入れるよう頑張って行きたい」。努力を重ね4年目にようやく花を咲かせた遅咲きの花は、新たな目標に向かって歩み始めて行く。
 
泉水玖瑠美選手アルバム
 
文(M.T)カメラ(平川大雪)2014.2.27

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