山梨学院パブリシティセンター
 
4人で江戸時代中期の矢穴石を発見
酒折文化遺産を学生チャレンジ調査

山梨学院大学考古学研究会の4人グループが、学生の自主的な実践を資金的にバックアップする山梨学院独特の学生支援制度「平成22年度秋季学生チャレンジ制度」の認定を受けて、大学がある甲府市酒折周辺の文化遺産調査を行い、酒折山の一つ八人山中腹で、逆台形の5つの矢穴列を持つ矢穴石(やあないし)を発 見した。矢穴石は、石工が石ノミで長方形の穴を開けて石を割った痕跡を持つ石、歯型のような形状が残るのが特徴。矢穴の幅によって採石年代が推定されることから、この石は江戸時代中期に採石されたものと推定された。柳沢吉保が甲府城石垣の修復を行った時期と重なり、石があった八人山北西中腹標高430m〜450m一帯は、石垣修復などに盛んに活用された江戸時代中期の石切り場跡の 可能性が強まった。
山学大考古学研究会には15人の部員がいるが、中心になって調査に取り組んだのは、部長の山崎真希さん(法学部政治行政学科3年)、清水勇希さん(法学部政治行政学科2年)、大柴俊太郎さん(法学部法学科2年)、中川和哉さん(法学部法学科2年)の4人。
 
部長の山崎真希さんは、静岡県富士宮市の出身。入学前は山梨の事はよく知らなかったが、調査に取り組む中で急速に理解を深めた。マンション自室ベランダから撮影した酒折山遠景が、報告書の図版1のトップ写真を飾った。「今まで経験したことがない体験をさせてもらいました。記者会見を開くような成果が 得られ、達成感があります。連歌の路を整備し、比較的登りやすいコースを設定できれば」と思っている。
清水勇希さんは、高校時代に山梨県埋蔵文化財センターの仕事を手伝うほど考古学が好き「伝説に満ちた地を調査して、図面に落とす作業が楽しかった。個人的には、距離的にも年代的にも近いのに、形が全く異なる不老園塚古墳と積石塚古墳との関係が気になります。政治行政学科で学ぶ学生として、文化財行政に興味があり、文化 財を活かした街づくりを勉強していきたい」研究材料がたくさん見つかったと思っている。
大柴俊太郎さんは中川さんと二人で、道のない急斜面を1時間半かけて矢穴石を里に下した。「個人的に力を入れたのは矢穴石の調査、急斜面を降ろす時はものすごく重かった。僅かな痕跡から、年代まで特定できたので、採石の苦労が報われました」と満ちたりた表情を見せた。
記者会見で矢穴石の説明役を行った中川和哉さんは「最初は簡単に考えていたが、調べることがどんどん広がって大変になりました。最後に記者会見を開いて発表することが出来て良かった」いい勉強になったと思っている。
 
4人は、昨年9月の「不老園塚古墳発掘調査」を皮切りに、11月から今年3月にかけて「酒折連歌の路文化遺産調査」を実施、連歌発祥地酒折宮をはじめとする大学周辺文化遺産や酒折山石切り場及び周辺石造物、北原古墳群・横根桜井積石塚古墳群といった謎多き古墳群などについて独自調査を行った。4月28日に 大学広報スタジオに採石した矢穴石を展示し「酒折連歌の路整備と文化遺産調査」報告として記者会見を行い、一連の調査結果を発表した。
 
この報告会で、総称酒折山の一つ月見山標高312mの尾根上に存在する「不老園塚古墳]については、7世紀第1四半期に造られた無袖の横穴式石室、甲府盆地北山筋の馬飼集団に属した族長層が眠る古墳と位置付けられた。八人山北西石切り場で発見された矢穴石は、二つの採石坑の間にあるテラスと呼ばれる平坦な 場所で見つかっており、この場所で加工されたものと判断された。矢穴幅が2寸(約6p)以上あることから、江戸時代中期(寛文〜寛政頃)に採石加工されたものと推定された。また、酒折山周辺の石造物については、江戸中期〜昭和戦前にかけての石造物18点の存在位置を特定させ、磐座(いわくら)と思われる巨石4点を確 認したと報告された。指導に当たった十菱駿武教授は「甲府城築城時の石垣は、城のある一条小山の石切り場と愛宕町の石切り場から採石されたことは確認されていたが、それ以降の修築時の採石地は不明であった。江戸時代中期の石切り場発見は、今回が初めて。酒折の街は、良質な安山岩である山崎石の採石加工拠点として、石材の需要が高 まった明治以降に、石の街として発展するが、そのルーツは少なくとも江戸中期までさかのぼることが確認できた」と話している。
 
4人は、近く不老園塚古墳に新たな案内板を設置する他、大学周辺文化遺産調査を今後も継続して行うことにしている。
 
(文 M.T) カメラ(平川大雪)
 [アルバム調査風景] [アルバム記者会見
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